山の上ホテル

山の上ホテルは昭和10年、明治学院・関西学院など数多くのキリスト教系スクールのチャペルや校舎・施設などの設計を手掛けたアメリカ出身の建築家 ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計により建てられたアール・デコ調のクラシックホテル。実業家・吉田俊男が創業した。

ホテル名は、GHQ接収時代に米兵・軍属の間で建物の愛称になっていた「Hilltop」が起源で、これを吉田が「丘の上」でなく敢えて「山の上」と訳したことによる。出版社があった神田に近いことから多くの作家や文化人がこのホテルに缶詰めになり執筆したことから「文人の宿」としても知られています。

男坂・女坂

男坂・女坂という呼称は、神田明神など、神社の参道でよくみられるもので、男坂が急こう配であるのに対して、女坂はなだらかなところから名付けられることが多い、この駿河台の男坂と女坂はともに、1924年の帝都復興区画整理によってできた坂道で、近くに並行してあり、一方は直線で急勾配、もう一方はすこし緩やかな勾配だったことから、昔からの定番でもあった神社の参道に見られる男坂&女坂にちなんで名前がつけられたという説が有力とのことです。

湯島聖堂

元禄3年(1690)に徳川五代将軍綱吉によって創建された儒教の始祖である孔子を祀った廟、寛政9年(1797)には昌平坂学問所が開設され、江戸時代に学問・教育の総本山となりました。

明治5年には東京師範学校(現在の筑波大学)、明治7年には東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)が設置されるなど近代教育発祥の地として有名です。

見学は夏季・年末の休業期間を除く毎日9時から17時、冬場は16時までとなります。土,日曜,祝日には大成殿も公開されます。

神田明神

正式名称は神田神社。天平2年(730)に出雲族真神田臣が現在の皇居大手門付近に創建。

時宗真教上人により平将門公が合祀されて以来、江戸総鎮守神田明神として広く庶衆の信仰を集めました。徳川将軍の江戸城拡張に際し。2代将軍徳川秀忠により現在地へ遷座し、神田っ子をはじめ多くの江戸っ子によって愛されてきました。

隔年5月開催の神田祭は江戸三大祭りとして有名。また商売繁盛の神様としてお正月には多くのビジネスマンが参拝に訪れます。

神田川

三鷹市井の頭恩賜公園内にある井の頭池に源から、東へ流れ、台東区、中央区と墨田区の境界にある両国橋脇で隅田川に合流する一級河川、江戸時代に人工的に作られた渓谷を流れる御茶ノ水付近の神田川は神田川のスポットとしては有名です。

御茶ノ水橋口から眺めるアーチ状の聖橋は神田川の水面に映る姿がとても美しく、JR中央線・総武線と東京メトロ丸の内線が通る立体的な線路の構造を見るなら聖橋上、または聖橋の真下を通る外堀通り沿いがおすすめ。

運がよければ3線がクロスするシーンを目撃できるかも?

ニコライ堂

正式名称は「東京復活大聖堂」日本にキリスト教の1宗派「正教会」の教えをもたらしたロシア人修道司祭(のち大主教)聖ニコライに由来し、1891年に竣工。

関東大震災などに伴う修復などを経て、1962年に国の重要文化財に指定されました。建築面積は約800平方メートル、緑青を纏った高さ35メートルのドーム屋根が特徴であり、日本で初めてにして最大級の本格的なビザンティン様式の教会建築といわれています。

今も礼拝は行われており、清掃・維持管理のため300円の拝観献金を納めれば礼拝の時間外でも13時~15時半で1年中見学は可能です。